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<院長のブログ>

<時を刻む>

人には何をどうしても思い通りにならないものがあるという。

一つは、命の限り。そして、時間の経過。人が生まれた瞬間から「人生」というものが始まり、人それぞれの与えられた時間の限りというものがあると言われている。時間だけは先取りできないし、取り戻すことも出来ない。

誰もが数回は人生の中で「あのときをもう一度、やり直したい」と思うことがあるという。あのとき、ああしておけば良かった、こうしておけば…… しかし、無情にも時計の針はカチッ、カチッと一秒を刻み続けるのである。

私は父を幼くして失った。そのことは、さして自分の人生に影響があるとは思っていなかった。事実、幼い子どもは母親なしでは育たないが、父親不在の家でも立派に成長する子どもは多くいるからである。ただ、子どもからやがて青年になり社会に出たときに社会人としてではなく「男」として判断を問われる局面が訪れる。「もし、親父がいたら何とするだろうか」と考えたことが多かった。そして。自分が父親になってはじめて、両親の考えを越えた「人として」の第三者的な判断をするようになるのだと思う。

父親が残したもの、今も時を刻んでいる。ときどき、狂いが出るのはお疲れなのか、あるいは私の手入れが悪いのか。京都で診療室をした頃、近くの時計店でみてもらって以来、オーバーホールもせずにいるが、先日、ふと思い出して電話をしてみた。「すんません、もう、歳やさかい、よう修理はせんようになりましてん」と、時計店の主人が電話の向こうで私のことを今でもはっきりと覚えていると話していた。この時計、精工舎(seiko)の誇る手巻きの薄型である。昔の職人たちのなんと丁寧なものつくりと技術力だろうか。当時でもそれなりの値段がしたであろうこの時計も手間暇惜しまず製作した日本の技術力の粋である。使い捨ての現在、もはや手作りなどという言葉は死語になりつつある。若者はみな、海外ブランド時計に群がり、そこに市場ができて相場が立つ。いいものを持つよろこびというより、ブランドをもつ自尊心と虚栄心が今の日本を支えている。対極には、安価ですぐに手に入り、捨てても惜しくないファストアイテム。私たちの歯科治療ももはや、3Dプリンターで製作した修復物をまるで緻密な精密人工臓器のように取り上げ、即日お渡しの治療が便利でしょ、といわんばかりの世の中…..

たとえ、どんなふうに使おうが時間だけはひとりで進んで行ってしまう。同じ時間なら、安易な使い捨てにするより、じっくり納得いくまで手を掛けた時間のほうを私は好む。時間には色も香りも付いていないから、それをつけていくのは人の使い方次第。ある昼下がり、近くの神社にこんな言葉が掲げてあった。

「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」(井上 靖)

さあ、きょうも一秒一秒を大切に生きよう。そして、自分が納得できる時間の使い方をしたい。