- コラム -

/ リンクサイト

<院長のブログ>

<知識バカの壁>

 

世の中、ネットで何でも情報が手に入ると思い込んでいます。

知的好奇心の旺盛な人にとって、図書館に行くまでもなく検索を駆使すれば大概のことはダウンロードできて自分の欲しい情報が入手できるからです。

しかし、実のところ、検索で得られた情報は誰かが発信したものを上書きしたものであることに意外と気づかないものです。私事ですが、歴史研究家と言われる人や研究者、学者という人たちと話すときに注意しなくてはならないことがあります。それは、彼らの多くが歴史的事実を認定する際に必ずと言って良いほど、過去の文献や書籍にこう書いてあるからといった「机上の論」を前提にしていることです。もちろん、一般の人よりも遙かに詳しく調べていただけることはありがたいし、頭が下がる思いですが客観性という立場をあまりにも強調するため、そこに生きた人々の痕跡や遺構、伝説などを軽視する傾向があります。これをもとに行政的な文化財認定などされては後世の人々に歪めた歴史的事実を伝えることになってしまいます。

そして、もっと困るのは、調べれば調べるほどに自分だけが誰よりも詳しくて自分以外は、バカであるかのごとく論を説く人々なのです。歴史や文化は生き物であり、そこに生きた人々によって醸造されたものです。ときには、為政者によって都合良く書き替えられたものなど数え切れないほどあります。当家についていえば、吾妻鏡などが典型例です。真理を追究しようとする姿勢には感服しますが、当事者の子孫にしか分からない言い伝えというものもあります。まして、個別の歴史などにおいて共通する定型など存在しないのです。

私たちの周りでもそんな知識バカな人が組織のリーダーだったり、ひとの集団をまとめるような役目に就けば、乗船する船はもう、泥舟でしかありません。異論を唱えるのも独自の論を立てるのも大切なことですが、けっして独善的にならないようにしたいものです。

私も十分に気をつけてと、自戒する日々です。