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<院長のブログ>

<冬>  (写真:皇居・二重橋前の朝)

 

ようやく、長くて暑かった夏と残暑の秋が終わり、冬の到来です。

しかし、もうすぐに年末、そして新年を迎える季節にもなるんですね~。時が経つのはほんとうに早くて一年があっという間に巡ってくるような感覚です。今年も様々なことに遭遇し、驚き、学び、そして知らなかった世界を垣間見るような一年でしたが、仕事以外で携わる日本文化の一端を継承する方々への協力や参加においても同様でした。

「古きにたずね、新しきに学ぶ」とは名言ですが、文化の継承や維持というものは、とても時間と労力、経済負担のかかるものです。一方、古いものを全否定し、壊して新たに作り直せば全てが解決かと云えばそうではありません。このバランスをいかにとっていくか、いつの世も課題なのでしょうね。私の家のゆかりで毎月、伺う京都・冷泉家も日本の文化の原点とも云うべき和歌の家です。古典籍、国宝の維持管理はほんとうにたいへんな努力が必要です。また、親しくさせていただいている大名家の方々も涙ぐましいご尽力で城や御家宝などを保存管理されています。では、何故、そんな努力をしてまで維持管理をしなくてはいけいないのでしょう?「もう、そんな時代じゃないんだから、全部、捨てちゃえばいいんだよ」とよく言われるそうです。

目の前の事しか見えず、興味がない、新しいものこそ時代を開く先端である、と主張する人々もいます。それも一つの考え方ですが、私が考える理由とは、「捨てたら、そこで終わる」です。どういうことかというと、連綿と続くと云うことは何百年も人々の手によってその価値を認められ、その内包する文化の普遍性というものが日本人にとってのDNAに残っているからだと思うのです。つまり、残しているものは皆の共有文化資産であり、単に個人的なひけらかしではないということ。その事物に触れることで、我々の先人達がどう考えて生きてきたのかを知る真実の手ががりになるからです。ヨーロッパでは建築物などで外観を残し、内部だけを現代にマッチするような保存がされるのも参考になる例ではないでしょうか。

いま、日本は冬の時代に入ったとか、三流国に転落したとか言われますが果たしてそうでしょうか?世界中見回してもこれほどに歴史の長く深い国、民族、文化遺産に暮らしている所はないことをもっと学校教育で教えてほしいものです。にわか経済でゴリ押しをし、日本には亡霊のように軍国主義反対と言いながら自分達は急速に核配備をしながら軍拡をして周辺国へ圧力をかけ、やがては侵略してしまおうなどと考えている国もあります。政権や皇帝が変わるたび、それまでのものを破壊し焼却、残滅してきた国を文化国家などと尊敬すべきでしょうか。

冬とは、色無き季節です。いわば真っ白な世界。そこにやがて、紅の色が咲き、春が来ます。冬は春を待つためのとても充実した時間でもあるのです。冬にしか出来ないことをしながら、やがて来る春を楽しみに待ちましょう。目の前のことばかりに右往左往せず、最古の歴史文化をもつ私たちが泰然自若に構え、隣国達に媚びへつらうことなく、その資産を私たちの次世代へ残すための努力を惜しみたくはないのです。