<院長のブログ>

(写真: 弓の作法を説いた巻物の一部、江戸初期、当家蔵)
<菖蒲>
五月も終わると、そろそろ雨の季節になります。
最近では四季が、はっきりしない日本ですが、それでも梅雨入りはするのでしょう。一雨ごとに湿度も上がり、あちこちの水辺では菖蒲が咲き始めます。
ジメジメした初夏ともいえる季節には、様々な疫病が流行ったので昔の人々は一年の中で人々がもっとも嫌ったといいます。今と違って、医学的な考え方や治療法もありませんでしたので、菖蒲の葉を束ねて軒先に吊るしたり、庇の上に並べて何とか外部からの疫病の侵入を防ごうとしたのです。また、薬玉と言って、香りの強い草花を玉のように丸めて軒先や玄関に吊るしました。
鎌倉時代の武士たちは、年中を通して、弓馬の鍛錬を欠かさなかったのですが、梅雨の季節は念入りに錬成し、馬具や弓矢の保全をしたようです。それは湿気が強くて、鉄を含むものが錆び付くからでした。また、暑さのために身体の動きも鈍くなり、この時期に敵が奇襲してくるのが弱点ともいえるからでした。
今では、すっかり平和な世の中になり、戦など全く考えもしない日本人ですが、人は愚かながら、かならず争いや戦を繰り返すものです。それは、現実の事情もあるにせよ、人類が生存しながら淘汰を繰り返して現代まで遺伝子をつないできたことを考えると、残念ながら認めざるを得ないヒトの宿命かも知れません。現に欧州ではいまだ戦争が止まず、中東でも同様です。
「武」というものは、他者を制圧するという意味合いが強いものですが、じつは自分の心を鍛錬することで、見境なく他者に斬り付けるものではなかったのです。時代劇にあるような侍が路上でいきなり人を切り殺すなど、じつはほとんど起きていなかったようです。なぜ、侍が二本差しだったのか?その意味もわからない現代の日本人には、平和のための抑止力とか平和の維持とか、まるで他人事なのかもしれませんが、他国では違います。覇権を国是とし、武をもって他国を征服することが正義であると信じている国も近隣にはあることを忘れてはいけません。
菖蒲、勝負、尚武、正部、色々な言い方がありますが、自分を大切に守れないひとは他者を思いやれないものです。自分の生まれた国を大切にできないひとは、他国をも敬うことはできないと思います。
てるてる坊主を軒先に吊るして、明日の天気を願う素朴で平和な気持ちが私は好きです。